京都のホームページ制作会社の有限会社エム・ツーです。レスポンシブウェブデザインを実践しています。

HTMLの歴史

2016年6月21日

HTMLとは、Hyper Text Markup Language の略です。
ハイパー・テキスト・マークアップ・ランゲッジとは? 直訳すると、
テキスト(文)に目印を付けて利用する(利便性を付加して)超すごい言語となります。

HTMLというものをざっくり説明すると、文章をレイアウトするための機能と、 文章の特定の語などに特定のぺージへのリンク、画像などメディア情報を埋め込む(ハイパーテキストの) 機能が統合されたものと言えるかと思います。(ざっくりすぎますか?)
私がHTMLを作り出したたのはHTML3.0の頃でした。 それで、HTML4.01まで、すごい速さで開発が進んでいったので、 その対応に追われたことも良く覚えています。
HTML5がどういった経緯で生まれ発展したのか、自身もおぼろげな知識しかなかったので良い機会と思い、 ちょこっと調べてみました。

HTML誕生以前

HTML黎明期イメージ写真

Hyper Textという概念は、1930年代頃ヴァニーヴァー・ブッシュという、 原子爆弾開発計画を指揮した人がMemex(メメックス)という仮想マシンを考えだした時形成されたものと言われています。
この仮想マシンは、(例えば)マイクロフィルムを使うなどして膨大な所蔵本の文章などをコンパクトに収めることが出来、 それで文を読むときには、文中に「注釈」「リンク」などを埋め込める機能があるとされていたそうです。

Memexでの「個人の記憶を拡張する個人的な補助記憶」を提供するという概念は、 その時代以降のハイパーテキストの開発や、個人のデータベースソフトウェアの開発に大きな影響を あたえたようです。
ただ、ここではまだHyper Textという具体的な言葉は明言されていませんでした。

その後、テッド・ネルソン(アメリカ1937年~)は、1965年にハイパーテキストハイパーメディアという言葉を発表し、その意味を明確に定義しました。
テッド・ネルソンは、後述するWWWより早く、ザナデゥ計画(Project Xanadu)を開始しています。
このザナデゥ計画によるハイパーテキストの概念は本当に高次元で、リンクの双方向の確保、 文章の履歴管理など文章に埋め込む形でなく実現出来る仕組みらしいです。
ただ仕組みが複雑すぎたのか、50数年経過した2014年にやっとプロジェクトが成果物であるソフトウェア OpenXanaduをリリースしました。

ダグラス・エンゲルバート(アメリカ 、1925年 - 2013年)は、アメリカの軍関係からの予算を得て、 NLSという、現在のコンピューターのGUIの基本となる機能を 実現したシステムを開発しました。
このシステムでは、ハイパーテキストグループウェアマウスによる操作など、完全に現在のパソコンの元になるようなことが実現されていたわけです。
余談ですが、このエンゲルバートが、マウスの特許をとったらしいです。
ただ、まだまだ世間では認知されず、特許切れるまで大した収入はなかったらしいです。

さて、文章の整形にまつわる部分の歴史ですが、 最初にGMLGeneralized Markup Language) という仕様がチャールズ・ゴールドファーブ(アメリカ)により開発されました。
これは、現在のHTMLのタグ付け機能の元祖となるもので、GMLでは、<ul> </ul> のようなタグではなく、:ol :eol のような記号であったようです。
当時は主に文章印刷の為、見た目(レイアウト)用ツールとして使われていました。
一旦このGMLで書かれた物をパーサと呼ばれる翻訳プログラムで解釈し、 印刷用のデータを生成するというものです。

GMLの成功を受け、より機能を充実させたSGMLStandard Generalized Markup Language)が開発されました。 SGMLはほぼ現在のHTMLの機能を実現したもので、 より高度で少し難解ですがタグを任意に定義出来たり、また現在のHTMLでドキュメントの宣言を行う、 <!DOCTYPE ・・ という決まりもすでに規定されています。

その後、XMLが登場します。
XMLは、SGMLの複雑な部分をシンプルにした発展版で、 SGMLからの移行を見据えたものでしたが、規格上はSGMLのサブセットとして定義されました。
現在、XMLは広く利用されていますが、ホームページの記述言語にも大きく関わっています。
HTML 4.01規格から次のバージョンがなかなか策定、勧告されなかった時期、 XMLの文法(仕様?)によりHTML 4.01を再定義(機能を再現)したXHTMLExtensible HyperText Markup Language)が次のムーブメントであるとして採用が広がりました。
このころ、XHTMLに移行するか、それともHTML5が出てくるのを待つのか、 悩ましいところでしたが、HTML5の具体的な話が伝わってこなかったので、 ウェブ業界の趨勢はXHTMLへと傾いていったように思います。

HTMLの誕生

ティモシー・ジョン・バーナーズ=リー(イギリス1955年~ 姓はBerners-Leeとなっていて、 これは両親の姓を両方引き継いでいるらしくこのような表記になります。通称はティム・バーナーズ=リーです)は ロバート・カイリューとともにWold Wide Web(WWW)を考案しました。 WWWの仕組みのなかに、http URL HTMLの設計も 行ったのも彼らでした。

HTMLの文法はそれまで発表されていたSGMLをベースに開発されたものでした。
1990年に「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」という提案書を提出し、 その年の12月にNEXTSTEP (※注釈) に最初のWebサーバであるhttpdと 世界初のウェブブラウザのWorldWideWebを構築しました。

NEXTSTEP とは
NEXTSTEPは、当時Appleを追放されたスティーブ・ジョブスが1985年に設立した会社の看板OSであり、社名でもあります。
私も思い入れがあり、OSを購入したこともあります。憧れのかっこいいOSでした。
なんとか手に入れ、PC/AT互換機にインストールしました。 ただ、当時はUNIXを十分使いこなせず猫に小判状態でしたが・・。

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1991年には、世界で最初に作成されたウェブサイト http://info.cern.ch/ が開設されました。
この、WWW関係の技術は特許も取得されず一般公開され、自由に使える技術とされたため、 世界に広まってゆきました。
バーナーズ=リーはその後、1994年 World Wide Web Consortium(W3C)を設立し、 仕様や指針、標準技術を策定・開発することに注力しました。

HTMLの進化

ティム・バーナーズ=リーが使いだした頃のHTMLは、 文法が厳格に決められたものではなく、 ツール群であったらしいです。 研究チーム間の情報の共有にかなり有効で瞬く間に、 世界的な注目を集めたということです。
HTMLとして具現化するのが、1990年に入ってからで、 この年ティム・バーナーズ=リーは、SGMLHTMLのハイパーテキスト機能を組み込んだものを提案・発表します。

◆ HTML 1.0、HTML+
1993年にIETF(※ 注釈)からHTML仕様書が公開されました。 バージョン番号がついていませんでしたが、一般認識でこのバージョンが1.0とされています。 その年の年末、テーブル機能を追加した、HTML+ が発表されました。
◆ HTML 2.0
1995年IETFによりHTML 2.0の仕様が発表されましたが、 管理がW3Cに移りました。
◆ HTML 3.0、HTML 3.2
W3Cにより、時期バージョンの3.0が策定されていましたが、 結局Netscape社やMicrosoft社の動向をうまく取り入れる ことができず廃案となったようです。

※ ブラウザの混沌期
このころはブラウザの開発元がどんどん自社のブラウザに独自機能を盛り込んでいた時代だったので、 このようなことになったのでしょうね。
どのブラウザに合わせてページを作るのか? 悩ましい大変な時代でした。

そこで、1997年1月14日、新たに3.2としてまったく別の仕様のものが勧告されました。
この時代デファクトスタンダードとなるためのブラウザのシェア争いが熾烈だった時代です。 しかしながら、色やフォントなど、ビジュアルに関する設定をHTMLの仕様に盛り込むのは SGMLのポリシーから逸脱するものだったようで、 すぐにHTML 4.0の草案作りにとりかかるようになります。
◆ HTML 4.0、HTML 4.01
1997年12月18日にW3C勧告として、HTML 4.0の仕様が発表されました。
その後、1998年に仕様が改訂されましたが、1999年12月24日に正式にW3CHTML 4.01として勧告されました。
私的には、この4.01時代の最初の頃は、良かったのですが、 IE(インターネットエクスプローラ)55.56の時代が 非常に厄介で、何かもやもやする時代でした。 IEの仕様、実装をほんと恨めしく思ったものです。 私がそのように思っていた原因というのが、コーディングにおいてCSSの利用が本格化し、 <table>タグでなく、<div>などで、ブロック表示をするようになった頃ですが、 IEIE以外のブラウザで、決定的に表示が変わる、あるいは正常に出来ないことが 多々あったからです。
書籍、ネットの情報など調べ廻ったり、いろいろ切り分けて試したり、それはそれは苦労しました。
◆ XHTML
ざっくりと言えばHTMLの機能をXML上で定義されたもので、 厳密にはXMLです。
ですので、ここで述べるのも筋が違うかもしれませんが、ウェブ制作をしてきた人で長い経験あれば、 例外なくXHTMLでサイトを制作したことがあると思いますので、変遷の歴史として扱いたいと思います。

2000年1月26日にW3Cにより、XHTML1.0が勧告されました。
4.01から次のHTMLのバージョンという流れにならず、何故かこのXHTMLでした。
そのあたりの理由をしらべましたが、明確にはわかりませんでした。
ただ、いろいろな文献、情報ソースから感じれることは、W3C内部では、 「HTMLXMLベースの方が良いんじゃないの? 」みたいな空気が 多数派をしめていたような感じです。 ですので、W3C内部からは積極的に次の HTML5の策定の働きかけは無かったようです

当時このような状況でしたのでXHTMLが勧告された時から、着々と 使うサイトも増えてゆき、ネットでもXHTMLの解説があふれるにつれ今後はこの仕様がスタンダード になるような雰囲気でした。

HTML4.01の機能をまったくそのままXMLに持ってきたものが、 XHTML1.0というバージョンのものです。
XMLの拡張性を取り入れたものが、XHTML1.1でしたが、 わたしはそのような先進的な機能も使わず、この1.1バージョンを使ってコーディングしていました。 (知らなかったとは言えはずかしい! 意味がなかったですね)
その後、W3Cでは1.2から2.0まで、草案は作成されていましたが正式な勧告とはならず、 2009年にすべて打ち切られました。 結局HTML5が次世代のホームページのコーディング言語の 主役となってゆくわけです。
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◆ HTML5
2014年10月28日にHTML5W3Cより勧告されました。 HTMLとしては、じつに14年ぶりの勧告でした。 この間いろいろ葛藤があったようす。 W3CHTML 4.01以降、XHTMLへ軸足をおいて活動して いたのですが、この方向に同意できないグループが存在しました。
それがWHATWGWeb Hypertext Application Technology Working Groupワットダブルジー) という団体です。
WHATWGは、「Webの発展に興味を持つ人たちにより結成された、HTMLWebアプリケーションに 必要なAPIの開発に取り組んでいるコミュニティ」という説明ですが、実体はmozila apple opera に所属するメンバーが立ち上げた団体でした。
このWHATWGが、新しHTMLを提唱し、それがHTML5となって行くわけですが、 当初はW3Cと意見が合わなかったようです。

ですが反目から一転、次第に話し合いへと流れが良い方向に向かいます。 当時、両方の団体に兼任しているメンバーも多かったためで、ついに共同でHTMLの新しいバージョン を検討するようになりました。 WHATWG では独自にさまざまな仕様を策定しましたが、それがHTML5の機能に取り入れられ、 ようやく勧告へとこぎつけた訳です。
これには、両陣営に属するグーグルのIan Hickson氏が貢献したらしいです。 紆余曲折、いろいろあったんですね。 でも私としてはやっと本物登場という感じがして 現状のコーディング環境などには非常に満足しています。

方向性としては、今後大きな路線の変更はないと思います。(またXMLベースに戻るとか) これからHTML5が主流となるでしょう。 また、その先にどのように進化をするのか楽しみですね。

※ IETFとは インターネットで利用される技術の標準化を推進する組織の一つ。原則として誰でも個人の資格で参加できる。

後述

本ページの情報もHTMLのハイパーテキスト機能を駆使して情報を集め、 真意をたしかめ、作成したものです。 これもひとえにHTMLのおかげですね。 そうして、新しいページがまた生まれて行きます。

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